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Flourish Session/Library 今日の考察 August 27th, 2015

消えてしまいたい!そんな時…


私はいじめられて死にたくなる人の気持ちが分かる。

といっても、私の場合は、だけれども。それはこんな感じだ。

 

私が、死にたくなる時。

私が相手が思っているような憎くて禍々しい存在ではないことを、

いつか分かって欲しいと心の底から願っている。

相手に向けられた敵意が突き刺さる時、そうじゃないんだ、

そんなこと自分は全く思っていないんだと相手に伝えたくてたまらない。

しかし、どんなに伝える努力をしても、全く聞いてもらえなかったことが

あまりに何度もあると、もう伝える気力も失ってしまう。

またそうすることで、更にひどい攻撃を受けたり、

「お前は絶対にそういう存在なんだよ!!!」とこちらの意見を全く無視され

彼らの見方を押し付けらると、もうこれ以上嫌われたくない、

これ以上彼らに傷つけられたくない思いから何も言わないという方法を選ぶようになる。

 

すると、反発しない私に更に怒った相手はもっともっと酷いいことを私に言ってくる。

私は反発しても、受け入れても、許されない負のループにはまっていく。

自分には何も出来ない負のループだ。

 

 

そんな時、

 

 

死にたくなる。

 

無力感で一杯になり、この世から消えてしまいたくなる。

 

そんな瞬間でさえ、私が消えれば許されるのではないか、

相手から愛されるのではないか、相手が間違っていたことに

ようやく気付いてもらえるのではないかと期待している。

 

もちろん、復讐心もある。

私を苦しめたことを苦しめばいい、そうも思う。

その為に、死ぬ時には明確にどうして死ぬのかの理由を明確に残して死ぬだろう。

 

ただ、

 

私は本当は生きたいのだ。

 

 

相手にも愛してほしいし、私が相手の敵ではないことを知ってほしい。

相手の見ていた私は本当の私ではなくて、

本当は私はただ一生懸命生きているだけの決して誰かを傷つけたり、

怒らせたりしたい訳ではない存在であることを

いつか分かって欲しいと思っている。

 

いつか、いつか、いつか、

そう思いながら、私は生き続けた。

でも本当は消えてしまいたい、そう思ったことが何度も何度も何度もあった。

 

いつかと期待している日が来ないような気がして

無力感に苛まれるときは、本当に

消えたくなる。

 

でも、そんな時私を止めるのは、

おそらくそんなことをしても、

相手は私の気持ちを100%分かってくれることはないのだろうと

知っている部分。

 

私が死んでも、欲しい未来は手に入らない。

それならば、欲しい未来を変えるしかない。

 

それは、「いつかその人に理解されること」を諦めることなのかもしれない。

 

そんな時に、私はワークをする。

4つの質問を思考に投げかける。優しく、優しく、自分を追い詰めないように、

ゆっくりと時間をとってワークをする。

それしか、この負のループから抜け出る道が見えないのなら

これを信じて飛び込んでみる。

 

「この人に私はこの人が思っているような存在でないことを分かってもらう必要がある。」

 

それは本当でしょうか?

はい。

 

その考えが本当であると絶対に言い切ることは出来ますか?

いいえ。

 

その考えを信じる時、どう反応しますか?何が起こりますか?

無力感を感じる。自分を愛せない。自分を許せない。自分を責める。

もっと何か方法があったんじゃないだろうか、でももう過去は取り戻せないから

もう何も出来ない。すごく闘う。暖簾に腕押し。やればやるほど、無力感を感じる。

相手を怖いと思う。嫌いだし、「お前が間違ってるんだよ、バーカ!!!」と言ってやりたい。

でもそんなことをすると、自分も相手と同じレベルに落ちてしまうような気がして、やらない。

決して相手を許さない。とことん、見下し続ける。

何があってもあなたのようにだけは生きたりしない。

何があってもあなたのことを許したりしない。

すごく深いレベルで黒く復讐を誓う。決してあなたを許さない、そう心に誓う。

 

もしも、その考えを信じていなかったら?

すごく、楽になる。

ようやく荷物を降ろせる。

この胸の痛みはこの人が私を理解したら消えるのではないのだということが分かる。

安堵感が生まれるのはそこではなかったと初めて実感できる。

喉の奥でぐるぐる回り続けていた、「なんとかしないと、なんとかしないと、

なんとかしないと、なんとかしないと」という行き場のない焦燥感がやっと止まる。

 

「この人に私はこの人が思っているような存在でないことを分かってもらう必要がある。」

 

置き換え1

「私に、私はこの人が思っているような存在ではないことを分かってもらう必要がある。」

そうなのだ。私は私にまずは分かってもらいたい。

私の罪のなさを。私がただ一生懸命生きている人間であることを。

間違いがあったとしても、大丈夫な、他の人と一緒の人間であることを。

私は自分に自分を許してほしいのだ。

相手を怒らせてしまったのは自分だという誤解を解いてほしい。

例え、その相手がそう言ったとしても、私は決して相手を怒らせることは出来ないのだから。

相手が私に対して怒るのは、相手の中に恐怖があるから。

その恐怖を消せるのは、私だと相手が信じているから。

私がその相手の言う通りにすれば、相手は幸せになると思っているから。

実際は、そうしてもちっとも幸せに感じられないので、より無力感を強めるのだけど。

つまり、相手も私が相手を幸せにしてくれないことに、怒っているのだ。

しかし、相手も私も、自分を幸せに出来るのは、いつも、自分だけだ。

相手に自分を理解してもらい、許してもらうことを求めているといつまで経っても

私たちに平安は訪れないのだ。

 

そうだった。私は、相手の思っているような悪どい人間ではなかった。

その例を挙げると、私は相手が言っているように「何もしなかった人間」ではなかった。

私はいつも、自分のできることをやってきた。それが相手の望むことではなかっただけだ。

私は相手の言うように「相手を私の為に色々なことを我慢するよう差し向けた」人間ではなかった。

相手は自分でそれをすることを選んだのだ。

何故ならそれがその人にとって「正しいこと」だと信じていたからだ。

決して苦しくて嫌なことばかりではなかったはずなのだ。

私の為に、してくれたのなら、その相手は本当に私のことを愛してくれていたのだと思う。

ただ、私がそれを感謝していないように見えることが悔しいのだろう。

色々なことを我慢してまでこんなにやってあげたのに、どうして感謝しないんだ?

そう思うと怒りが湧いてくるのかもしれない。それは想像に過ぎないが、

そう思うと、相手は私を責めることでなんとかバランスを取ろうとしているのだ

ということが見える。相手が責めて達成したいのは、私を否定することではない、

私に認めてもらうことだ。

そう、思うと、私は「憎まれている存在」ではなく、「愛されている存在」だということになる。

 

置き換え2

「私に、この人は私が思っているような存在でないことを分かってもらう必要がある。」

 

そうなのだ、私はこの人は「力を持っていて怖い、決して私が勝てない相手」だと見ている。

しかし、本当なのだろうか?この人は、ただ、私と同じように自分の思考を信じていて

その思考に振り回されている、苦しんでいる人なのではないだろうか?

 

また、「この人は私を憎んでいる」そう信じていたけれど、そうではないかもしれない。

この人は、「私に感謝されていない自分」=「私に愛されていない自分」だと思っている。

私に愛されたいだけの人なのだ。

ゆっくりと話を聞いてあげたら、やっと話を聞いてもらえたと涙を流すのだろう。

ただ、私にまだその余裕がないので、この人はそれが得られない。

それが面白くなくて、「私は不幸なんですけど!あなたのせいで不幸なんですけど!

どうにかしてほしいんですけど!」と叫び続けているのだ。

ただ、それが怖くて私は余計距離を置く。逆効果のことをしているのだけれど。

 

この人は、とても怖いから、自分も怖い態度を取ることで、

もう誰にも怖がらされたくないと思っているだろう。

私は、この人の表面的なところを見て、怖くて危険な人だと思っているが、

本当のところは弱さの裏返しなのだと思う。

人は、弱さを見せることは負けのように思うところがある。

私が、自分の弱さをやっと認められるようになり、それをこのように発信し出すと、

すごく怖く感じる人がいるようだ。

この人、こんなに弱くてダメなところがあるのなら信じられないわ!

そんな風に私を不快に思う人もいる。

けれど、私にとって弱さがあることを受け入れられるようになったことは

非常に意味のあることなのだ。今はとても大切なことだからそれをし続ける。

それが私の選んだことだ。

 

置き換え3

「この人に、私はこの人が思っているような存在ではないことを分かってもらう必要はない。」

 

そう分かってもらうことは、今までずっと努力してきたけど、無理だったから。

 

疲れるから。

 

自分にできないことを自分に課すのは自分に優しくないから。

 

この人が私のことをどう受け取るかは、この人の選択だから。

 

そこに、平安はないから。

 

 

この問いかけが終わって今、私のドキドキはかなり静かになった。

この記事を書き始めた時、私は本当に死んでしまいたいくらいの気持ちだったのだ。

 

今は、落ち着いている。

 

これが、また帰ってこないとは言わない。

でも、こうやって一つ一つ自分の誤解を解いていく。

自分に対する誤解も、相手に対する誤解も。

すると、なにも死ぬ必要はないな、

今日は何食べよう。

そんな風に思うのだ。

 

 

死にたいほどの辛い出来事も、

自分を過去から解き放つ、素晴らしいきっかけになり得るのだということを

私はワークの体験から知っている。

 

 

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